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陸上競技部について

関西学院大学体育会陸上競技部部則

第1章総則

(名称)
第1条 本部は関西学院大学体育会陸上競技部(以下、本部と称す)と称する。
(場所)
第2条 本部は関西学院大学内に置く。
(部員)
第3条 本部の部員は関西学院大学(以下、本学と称する)学生に限る。
(目的)
第4条 本部の目的は、関西学院大学および本部OB会「月見ヶ丘クラブ」と協力し、関西学院建学の精神「Mastery for Service」に則り人格の陶冶、体育の振興を目指し、以って大学教育の一端を担い関西学院大学の発展に寄与することを旨とする。

第2章 機関

(機関)
第5条 本部に次の機関を置くこととする。 1 総会 2 幹部会議
(総会構成)
第6条 総会は全構成員により構成される。
(定期総会・臨時総会)
第7条 総会は必要に応じて開催する。また緊急時、要請があった場合、及び幹部がその必要を認めた場合、臨時に開かれる。
(総会権限)
第8条 総会は次の事項を決議する。
   1 第13条4から12に定める役員の承認
   2 年度予算の承認
   3 部則の最終決定、改正案の承認
   4 その他、重要事項の審議決定
(幹部会議構成)
第9条 幹部会議は総会の意志を代表する議決機関であり、第13条に定める役員によって構成される。
(定期幹部会議・臨時幹部会議)
第10条 幹部会は必要に応じて開催される。また幹部の半数がその必要を認めた時、臨時に開くことができる。
(権限)
第11条 幹部会議は次の事項を行う。
   1 総会に提出する議案の作成
   2 総会における質疑・応答
   3 総会決議事項の処理執行
   4 本部に係わる行事の審議・執行
   5 賞罰に関すること
   6 その他、本部全般に関する事業の審議・執行
(総会権限代行)
第12条 幹部会議は場合により、総会に代わりその任務を遂行することができる。

第3章 役員

(役員)
第13条 本部に次にあげる役員を置くこととする。
   1 部長
   2 副部長
   3 総監督
   4 監督
   5 コーチ
   6 主将
   7 副将
   8 主務
   9 駅伝主務
   10 副務
   11 広報
   12 会計
   13 パート長
   14 体育会本部役員
   15 関西学連役員
   16 その他、必要な役員
(役員選出)
第14条 役員の選出は次の方法で行なう。 前条1から5は本学より推薦・選出される。 前条6から10は原則として本部の幹部学年より選出し、現監督・幹部の承認により決定する。前条11から16は本部の部員より選出され、幹部会議にて決定される。
(役員任務)
第15条 役員は次の任務を果たす。
   1 部長は本部を総括し、本部を代表する。
   2 副部長は部長を補佐し、必要に応じてその職務を代行する。
   3 総監督は監督への総合的な助言を行う。
   4 監督は本部全体の統括、運営、監督指導を行う。
   5 コーチは競技の技術指導・本部の運営指導を行う。
   6 主将は部員を統括し、本部学生を代表する。
   7 副将は主将を補佐し、場合に応じてその職務を代行する。 
   8 主務は本学体育会と連携し、部内の運営に関わる一般事務を行う。 
   9 駅伝主務は駅伝及び長距離パートに関わる一般事務を行う。 
   10 副務は学連関係及び他大学との大会業務に関わる一般事務を行う。
   11 広報はホームページ管理をはじめ、本部の活動情報を発信する。
   12 会計は本部における会計事務を行う。
   13 パート長は各パートを統括・代表する。
   14 体育会本部役員は体育会本部の一員としてその任務を遂行する。
   15 関西学連役員は学連員の一員としてその任務を遂行する。
   16 その他、必要な役員はそれぞれ与えられた業務を行う。
(役員任期)
第16条 役員の任期は次の通り定める。第13条1から5は本学の定めるところによる。第13条6から16は原則として最終対校戦である日本学生陸上競技対校選手権大会までとする。

第4章入退部

 (入部資格)
第17条 本部に入部できる者は本部の理念及び目的を理解し本則に同意できる者とする。
(入部許可)
第18条 本部に入部を希望する者には一定の仮入部期間を設ける。期間を経て幹部会議にて審議のうえ所定の書類を提出し監督・主将の承認を受け入部が許可される。
(学連登録)
第19条 日本学生連盟の登録は、選手全員がこれを行う。ただし、途中入部者にはその年の登録ができない場合がある。
(入部金)
第20条 本部に入部する者は、入部金を納入する。
(再入部不可)
第21条 一度退部した部員は、再び部員になることはできない。
(休部)
第22条 原則として本部を休部する事は認めない。ただし、病気・休学等やむを得ない事情により、主将及び監督が承認した場合はこの限りでない。
(退部)
第23条 部員が退部しようとするときには所定の書類にその理由を明らかにし本人において届出を行い監督・主将の承認を受けなければならない。

第5章 大会

第24条 大会に関しては、大会等に関する規定に定める。

第6章 行事

(年間行事)
第25条 本部は次の行事を行う。
   1 関西学院大学記録会
   2 大会壮行会
   3 幹部交代式
   4 全体強化練習
   5 卒業生追い出しコンパ
   6 初等部陸上教室
   7 その他、必要な行事
(行事への参加)
第26条 原則として、各行事へは本部員全員が参加する。ただし、行事によっては、特定に選出された本部員のみ参加とする。各行事へ参加出来ない正当な理由がある場合に限り、監督及び幹部会議の承認の下で行事の欠席を許可する。
(正装着用)
第27条 行事には第24条中に定められた正装を着用する。
(行事日程)
第28条 各行事の日程に関しては幹部会議で決定の上、本部員へ通達する。

第7章 練習

(全体練習へ参加義務)
第29条 原則として、全体練習への本部員全員の参加を義務づける。 平日15時半~ 土・日・祝日10時~ ただし、長期休暇中(春及び夏休み期間)の練習時間ついては、練習に関する規定に定める。
(練習場所)
第30条
   1 通常の練習場所は関西学院大学第2フィールド及びその周辺、神戸三田キャンパス第一グラウンド、また関西学院大学トレーニングセンターを利用する。
   2 練習に際してグラウンドを損傷するような使用は認めない。特に関西学院大学第2フィールドでのやり投げ􏰀は厳禁とする。
(遅刻・欠席)
第31条 全体練習を遅刻または欠席する場合、事前に各パート長へ連絡を入れること。無断 欠席は、如何なる理由であろうとしてはならない。
(服装)
第32条 本部員は全体練習に参加するにあたり、競技者らしい清潔で端正な服装を心がける こと。
(練習における協力)
第33条 練習においては各個人・各パートが協力し、お互いが快適に練習できる環境や雰囲気作りをすることを心掛ける。 その他練習に関しては諸注意􏰀、練習に関する規定に定める。

第8章 会計

(経理)
第34条 本部の経理は部費、入部金、OB会援助金、臨時費、寄付その他の収入によってこれに当たる。
(会計年度)
第35条 本部の会計年度は、4月1日から翌年3月31日までを1年と定める。
(部費、入部金額)
第36条 本部は部費及び入部金を徴収する。金額は幹部会議にて決定する。
(臨時費)
第37条 臨時費の額及び徴収方法については、幹部会議において決定し、部員から徴収する。
(納付金不還付)
第38条 すでに納入した部費及び入部金は理由の如何にかかわらず返還しない。
(滞納)
第39条 正当な理由がなく部費を1ヶ月以上滞納し、その後においても納入の見込みがない時は、停部あるいは退部を命ずることがある。

第9章 賞罰

(表彰)
第40条 本部の発展のために特に顕著な貢献をした者には陸上競技部OB会「月見ヶ丘クラブ」 に推薦のうえ、表彰する。
(懲罰・警告)
第41条 部員が次の行為を行った場合、幹部会にて審議し退部、停部など適当な懲罰または 警告を行う。 1 本学ならびに本部の名誉毀損 2 正当な理由のない長期欠席、練習の不参加 3 本部の秩序を大きく乱す行為、言動 4 全体集合への不参加 5 部費及び入部金の長期滞納 6 本学学生として明らかな怠業 7 本則に反する行為 8 その他、不都合な行為

第10章 雑則

(改正)
第42条 本則の改正は必要に応じて幹部会議で審議・決定し、部長・監督・コーチ等の承認を得て、総会にて通達されるものとする。

付則

この部則は、2011年4月1日より施行する。

年 表

1917年(大正 6年)5月 第3回極東オリンピック<東京>に出場(宮本常蔵) -関西学院スポーツ史上初めての公式国際競技大会に出場-
1918年(大正 7年) 4月 陸上競技部創部
  部長 小寺敬一 主将 伊達宗敏 マネージャー 深山武夫
1919年(大正 8年) 4月 全国学生陸上競技連合を結成し、第1回大学専門学校連合競技会を開催 -関東インターカレッジの始まり-
   (東京帝大、東京高師、慶応、早稲田、東農大、一高、東大農実、日本歯科が参加、翌年から学習院、明治、法政が参加)
1918年(大正 7年)  -第1期黄金時代(~1926年)-
1919年(大正 8年) 5月 第4回極東オリンピック<マニラ>に出場(伊達宗敏) -陸上競技部として初の海外遠征-
1919年(大正 8年)11月 第7回日本選手権
  100m、200m(伊達宗敏)、半マイルリレー(渡辺文吉、島 集一、伊達宗敏、築山慶次)、1マイルリレー(渡辺文吉、島 集一、伊達宗敏、築山慶次)の3種目で優勝
1920年(大正 9年) 5月 第1回対早稲田大定期戦始まる(大阪朝日新聞社後援) -63対45で関西学院の勝利-
1920年(大正 9年) 7月 第1回関西学院対神戸高商戦開催 -高障害で日本新記録を樹立(渡辺文吉)-
1920年(大正 9年)11月 京都帝大運動会、東京帝大運動会の招待1600mリレー(渡辺文吉、大島信雄、島 集一、伊達宗敏)で連続優勝、全国を席巻する
1920年(大正 9年)11月 第8回日本選手権200mで2連覇(伊達宗敏)
1921年(大正10年) 6月 第5回極東オリンピック<上海>ハードル2種目で銀メダル獲得(渡辺文吉) -国際試合で関学初のメダル獲得の快挙-
1921年(大正10年)10月 関西学生陸上競技連盟を結成(仮称 大学専門学校陸上競技連盟) -関西学院より渡辺文吉、OBの深山武夫が参画-
1921年(大正10年)12月 第1回関西インカレ始まる -総合優勝 神戸高商 3位 関西学院-
1922年(大正11年) 4月 OB会月見ヶ丘倶楽部創設
1923年(大正12年) 5月 第6回極東選手権<大阪>に4名(渡部武寿、正垣通三、田中有道、中沢米太郎)出場   *今大会から極東オリンピックより名称変更
  棒高跳・日本新記録で金メダル獲得(中沢米太郎) -関西学院史上初の国際試合での金メダル-
1923年(大正12年)11月 第2回全国選手権陸上競技大会 10種競技(渡部武寿)と800mリレー(渡部武寿、正垣通三、和田 一、竹内重次郎)の2種目で優勝
1924年(大正13年) 6月 関西学院対第三高等学校戦開催 -48.5対20.5で関西学院の勝利-
1924年(大正13年)11月 第1回明治神宮競技大会の鉄槌投で優勝(寺田辰次郎)
1924年(大正13年) 9月 第4回関西インカレで総合初優勝
1925年(大正14年) 第5回インカレ混成競技で4連覇(渡部武寿)
1925年(大正14年) 5月 第7回極東選手権<マニラ>に3名出場(赤阪正一、前川博、渡部武寿)
1925年(大正14年)10月 第2回明治神宮大会の鉄槌投で日本最初のトリプルターンをして日本新記録を樹立して優勝(寺田辰次郎)
1926年(大正15年) 5月 第13回日本選手権 走高跳で優勝(木村一夫・中学部)
1926年(大正15年)11月 第3回明治神宮大会の棒高跳で優勝(赤阪正一)
   -昭和になって部員数が大正時代に比べれば少なくなり、昭和8年ごろまで次第に戦績は低迷-
1927年(昭和 2年) 8月 第8回極東選手権<上海>に(木村一夫・中学部)が出場
1927年(昭和 2年)12月 日本学生陸上競技連合発足に際して、規約起草の顧問として朝日新聞の渡辺文吉が協力する
  関西学院から代表として結成に参加(山本一夫)
1928年(昭和 3年) 5月 第1回日本インカレ始まる -走幅跳で杉田巌が4位入賞のみ-
1931年(昭和 6年) 6月 第1回 対大阪商大戦開催  -38 対 19 大阪商大の勝利-
  第1回 対浪速高対校戦開催 -37 対 20 浪速高の勝利-
1932年(昭和 7年) 9月 第12回関西インカレ 2部制を採用し、関西学院は2部に出場 
1933年(昭和 8年) 9月 第1回兵庫選手権大会が始まる
1933年(昭和 8年)10月 運動部覇業交歓が初めて実施され参加
1933年(昭和 8年)10月 第1回近畿選手権大会が始まる
1934年(昭和 9年) 5月 第14回関西インカレから2部制になり、1部、2部の入れ替えが行われるようになった
1934年(昭和 9年) 有望な新人選手が加わり、対神戸商大対大阪商大戦に大勝し次第に陣容が整えられていく
1935年(昭和10年)  -第2期黄金時代(~1949年)-
1935年(昭和10年) 6月 第1回兵庫インカレが始まり初優勝、その後42連覇
1936年(昭和11年) 9月 全三重県と対抗戦開催 -49 対 31で関西学院の勝利-
1937年(昭和12年) 1月 第1回関西学生対校駅伝始まる  -優勝 関西大 2位 関西学院-
1937年(昭和12年) 9月 日米対抗や日満米対抗大会に日本代表で出場(戸田一雄、前田巌)
1938年(昭和13年) 6月 第6回近畿選手権大会棒高跳において4m25で優勝(前田巌) -この記録は同年度の日本ランキング1位、世界ランキング11位-
1938年(昭和13年) 6月 第1回全日本学生東西対抗戦の棒高跳で優勝(前田巌) -関西学院より8名が西軍代表選手に選ばれ大活躍-
1938年(昭和13年) 7月 日本代表選手として満州遠征(戸田一雄)
1938年(昭和13年)10月 第11回日本インカレ800m(戸田一雄)、棒高跳で(前田巌)が優勝 -東京の空に2本の弦月旗が舞い上がった-
1939年(昭和14年) 5月 第19回関西インカレ2度目の総合優勝 -種目別で8種目の優勝、800mでは同年度の日本ランキング1位の記録を樹立(戸田一雄)-
1939年(昭和14年) 8月 第8回国際学生大会<ウィーン>の代表となるが欧州動乱のため無念の帰国(前田巌)
1940年(昭和15年) 第2期黄金時代を築いた優秀な選手の卒業により関西学生対校戦はトラック優勝したが総合3位、なお、この年の東西学生対抗戦に9名の選手が参加して活躍
1941年(昭和16年) 9月 文部省令により学生大会は中止となる
1942年(昭和17年) スポーツは次第に国防競技化し俵運搬競争、手榴弾投などは行われ、10月の第6回一般対学生陸上競技大会が全国的な大会として戦前の最後の大会となった
1946年(昭和21年)  -第3期黄金時代(~1952年)-
1946年(昭和21年)11月 戦後すぐに優秀な選手を再びむかえ躍動を始め、第1回国民体育大会兼第30回日本陸上競技競技選手権大会の1600mリレー で優勝(岡本俊夫、伊藤三郎、相沢 茂、矢野嘉一郎)
1947年(昭和22年) 5月 日本学生陸上競技連合再建、復活結成準備委員会に地区学連代表として参加(川坂進)
1947年(昭和22年) 5月 第24回関西インカレで3度目の総合優勝 -100m、200m、400mに勝利しトリプルクラウンを達成(原正義)-
1947年(昭和22年) 7月 第16回日本インカレハンマー投で優勝(樫内重之)
1948年(昭和23年) 5月 第25回関西インカレ2年連続4度目の総合優勝 -100m、200m、400mの3種目に勝ち総合優勝に貢献(岡本俊夫)-
1948年(昭和23年) 7月 第1回西日本インカレ始まる  -優勝した立命大と同得点ながら総合2位-
1948年(昭和23年) 7月 第17回日本インカレ400mで優勝(岡本俊夫)
1949年(昭和24年) 5月 第26回関西インカレで5度目の総合優勝し3連覇達成
1949年(昭和24年) 8月 第7回学生東西対抗戦に過去最多の10名が西軍代表として出場
  (矢野嘉一郎、児島欣一、馬場亮二、中西俊雄、浦本和昭、松山義忠、佐渡 正、松田恒雄、堀内哲二)
1949年(昭和24年)10月 第2回西日本インカレで総合初優勝
1950年(昭和25年) 7月 第19回日本インカレやり投で優勝(堀内哲二)-堀内哲二は関西学生、西日本学生、日本学生の3大タイトルを獲得し、同年度日本ランキング2位、学生ランキング1位になる-
1950年(昭和25年) 8月 第8回学生東西対抗戦200mで優勝(浦本和昭)
1950年(昭和25年)10月 第5回国民体育大会やり投で優勝(堀内哲二)
1951年(昭和26年) 7月 第20回日本インカレ400mリレー(日比野重幸、三木昭三郎、藤井 忠、浦本和昭)で初の全国制覇、やり投では2連覇(堀内哲二)
1957年(昭和32年)  -第4期黄金時代(~1967年)-
1957年(昭和32年) 5月 第34回関西インカレでトラック優勝、総合2位になる
1957年(昭和32年)11月 全国選抜大会の200mで日本学生新(柳 恭博)
1957年(昭和32年)12月 第19回関西学生対校駅伝4位入賞するが、第35回大会まで部員不足で参加せず
1958年(昭和33年) 5月 戦後日本で初めての国際総合大会の第3回アジア大会<東京>の200m、400mリレーに出場(柳恭博) -400mリレーで銀メダル-
1958年(昭和33年) 7月 第27回日本インカレ400mリレー (藤川二郎、柳恭博、小林寿雄、上田康)で優勝し2度目の全国制覇、200mで柳恭博、400mで上田康も優勝
1958年(昭和33年) 8月 第3回日米対抗陸上競技会に日本代表として3名出場 (柳恭博、上田康、藤川二郎)
1959年(昭和34年) 8月 第43回日本選手権400mリレー (藤川二郎、柳恭博、小林寿雄、上田康)で優勝
1959年(昭和34年)10月 第3回日独対校戦に日本代表として出場(上田康)
1960年(昭和35年) 5月 第37回関西インカレの1500mで戦後初めて4連覇達成(正木定雄)
1960年(昭和35年) 8月 第17回オリンピック大会<ローマ>の走幅跳に出場(蝦名純) -創部以来 初めてのオリンピック代表選出-
1960年(昭和35年)10月 第39回対早稲田大定期戦800mリレー(浅井浄、上田康、藤野忠、長谷正吉)で日本新記録樹立
1961年(昭和36年) 6月 第30回日本インカレ110mハードルで優勝(三宅克宏)
1961年(昭和36年) 8月 第2回ユニバーシアード大会<ソフィア>に出場(浅井浄、三宅克宏)
   -両選手は大会前に行われた日本、スウェーデン、フランス3ケ国対抗競技会やマインツ国際競技会に出場し活躍-
1962年(昭和37年) 8月 第4回アジア大会<ジャカルタ>出場(浅井浄) -400mリレーで銀メダル-
1962年(昭和37年)10月 第17回国民体育大会100mで優勝(浅井浄)
1963年(昭和38年) 6月 第40回関西インカレ100mで4連覇(浅井浄)
1963年(昭和38年) 9月 第32回日本インカレ400mリレー (三宅克宏、小西廉造、井口宣紀、浅井浄)で日本新記録を樹立しリレー3度目の全国制覇、100mで浅井浄、小西廉造がワンツーフィニッシュ、110mハードルで田中章が優勝
1963年(昭和38年) 9月 第3回ユニバーシアード大会<ポートアレグレ>に出場(三宅克宏)
1963年(昭和38年)11月 オリンピック標準記録挑戦記録会400mリレー (三宅克宏、小西廉造、井口宣紀、浅井浄)において単独チームで日本新記録樹立  -40秒9 日本初の40秒台の新記録、110mHで日本学生新記録(田中章)-
1964年(昭和39年) 5月 110mHで日本新記録樹立(田中章OB)
1964年(昭和39年) 6月 第19回国民体育大会100mに優勝(浅井浄)、110mHに優勝(OB田中章)
1964年(昭和39年)10月 第18回オリンピック大会<東京>に3名出場(浅井 浄-100m・400mリレー、田中 章OB-110mH、平田重信は短距離コーチ)
1964年(昭和39年)10月 オリンピック終了後各地区で行われた日・英・米国際対抗戦や国際親善競技会に出場して活躍 (浅井浄、星加利樹、田中章OB)
1964年(昭和39年)11月 第43回対早稲田大定期戦が中断
1965年(昭和40年) 8月 第4回ユニバーシアード大会<ブダペスト>に出場(田中章OB) 
1966年(昭和41年) 5月 第43回関西インカレで17年ぶり6度目の総合優勝 -エントリー選手数わずか16名で87点を獲得-
1966年(昭和41年)12月 第5回アジア大会<バンコク>に出場(佐藤泰章)
1967年(昭和42年) 8月 第5回ユニバーシアード大会<東京>に出場(星加利樹)
1968年(昭和43年) 大学紛争が激化していくにつれ部員の中にも紛争に身を投じる者も出て部活動も次第に支障をきたす
1969年(昭和44年) 2月 学院紛争が激化
1970年(昭和45年) 4月 入試におけるスポーツ推薦制度が廃止                
1970年(昭和45年) 9月 第6回ユニバーシアード大会<トリノ>にコーチ兼マネージャーとして参加(平田重信)
1971年(昭和46年) 大学紛争のあおりをまともに受け部員全員で15名という創部以来最小のメンバーになる
1973年(昭和48年) 6月 第13回学生・実業団対抗戦の走幅跳で優勝(増田学)
1973年(昭和48年) 8月 第7回ユニバーシアード大会<モスクワ>に出場(増田学)
1973年(昭和48年)12月 第35回関西学生対校駅伝に16年ぶりに出場 -4位に入賞し翌年1月に行われる全日本大学駅伝の出場権を初めて獲得する-
1974年(昭和49年) 4月 クラブ誌「月見が丘」創刊 -第3号より-月見ケ丘会報-と題字変更
  久保芳和部長が50年史編纂を提案
1974年(昭和49年)10月 第1回阪神4大学対校戦(関西学院大、神戸大、甲南大、大阪大)が始まる
1975年(昭和50年) 1月 第6回全日本大学対校駅伝に初出場
1976年(昭和51年)10月 第1回関西私立4大学対校戦 (関西学院大、関西大、同志社大、立命館大)が始まる
1977年(昭和52年) 5月 第43回兵庫インカレで第1回大会以来の連勝記録が42でストップ
1978年(昭和53年) 6月 旧学生会館2階にあった部室が焼失
1981年(昭和56年) 5月 第58回関西インカレで創部63年目にして初の2部降格
1982年(昭和57年) 5月 第59回関西インカレで1部に復帰
1983年(昭和58年) 5月 第60回関西インカレで得点0点、2度目の2部降格 -この大会は得点0点-
1983年(昭和58年)11月 ‘83全日本大学女子駅伝(国際大学女子招待)に初出場
   -陸上部員2名、合気道部、軟式庭球部、スキー同好会などの寄せ集めチームで9月の関西地区予選会を通過し、本大会は外国7大学を含む23大学が参加、15位でゴール(2年連続出場)-
1984年(昭和59年) 4月 種目別学院新記録達成の表彰制度を始める
1985年(昭和60年) 5月 第62回関西インカレで2年ぶり1部復帰 -関西大と120点の同点で同時に1部に-
1987年(昭和62年)10月 第42回国民体育大会成年B200mに優勝(中西義修)
1988年(昭和63年) 7月 創部70周年記念式典を開催
  「関西学院大学陸上競技部70年史」を発刊
1988年(昭和63年) 7月 25年ぶりに対早稲田大学定期戦が復活 -回数は中断期間もカウントし第68回対早稲田大学定期戦となった-
1991年(平成3年) 9月 商スポーツ推薦、社会自己推薦で5名が合格
1991年(平成 3年)11月 第53回関西学生対校駅伝で40年ぶりに2位入賞
1992年(平成 4年) 5月 久保芳和前部長が春の叙勲で勲二等瑞宝章を受章
1992年(平成 4年)10月 第4回出雲全日本ロードレースに初出場 
1992年(平成 4年)11月 第24回全日本学生対校駅伝に17年ぶり出場
1993年(平成 5年) 7月 第72回対早稲田大定期戦で72年ぶりに2勝目 -その後、5連勝-
1997年(平成 9年)  -第5期黄金時代(~2002年)-
1997年(平成 9年) 9月 第66回日本インカレ走高跳で女子初入賞(一ノ瀬奈美)
1997年(平成 9年)11月 第7回アジアジュニア大会<タイ・バンコク>に出場(渡邊浩二、森川栄二)
1998年(平成10年) 7月 創部80周年記念式典を開催
  「関西学院大学陸上競技部80年史」を発刊
1998年(平成10年) 6月 第9回日本学生種目別選手権400mに優勝(大喜田洋一郎)
1998年(平成10年) 7月 第7回世界ジュニア大会<フランス・アヌシー>に出場(面高潤也)
1999年(平成11年) 5月 第76回関西インカレ3種目で関西学生新記録を樹立し7度目の総合優勝
1999年(平成11年) 5月 第76回関西インカレ女子初優勝(周 蘭)
1999年(平成11年)10月 第8回アジアジュニア大会<シンガポール>に出場(黒田公一)        
2000年(平成12年) 7月 関西学院創立111年記念行事として早稲田、慶応義塾、同志社、関西学院の対校戦を開催
2002年(平成14年) 7月 第9回世界ジュニア大会<ジャマイカ・キングストン>に出場(酒井大介)
2004年(平成16年) 3月 世界クロスカントリー大会<ベルギー・ブリュッセル>に出場(寺田恵)
2004年(平成16年) 5月 第81回関西インカレ8種目で優勝するも総合では3位
2004年(平成16年) 6月 第11回アジアジュニア大会<マレーシア・イポー>に出場(今宮翼)
2004年(平成16年)10月 第13回世界ハーフマラソン大会<インド・ニューデリー>に出場(寺田恵)
2005年(平成17年) 8月 第23回ユニバーシアード大会<トルコ・イズミル>に出場(寺田恵)
2005年(平成17年) 9月 第74回日本インカレ棒高跳で優勝(山田裕司)
2006年(平成18年)6月 第22回日本ジュニア陸上棒高跳で優勝(荻田大樹)
2006年(平成18年) 8月 第11回世界ジュニア大会<中国・北京>に出場(荻田大樹)
2006年(平成18年) 9月 第3回日本学生チャンピオンシップ棒高跳で優勝(浅野喜洋)
  第24回ユニバーシアード大会<タイ・バンコク>に出場(寺田恵OG)し、銀メダルを獲得
2007年(平成19年)10月 第23回日本ジュニア陸上800mで優勝(安田健一)
2008年(平成20年)  -第6期黄金時代-
2008年(平成20年) 5月 第85回関西インカレで8度目の総合優勝 -棒高跳で日本学生新記録樹立(荻田大樹)-
2008年(平成20年) 6月 第13回アジアジュニア大会<インドネシア・ジャカルタ>に出場(有明侑哉)
2008年(平成20年) 7月 第12回世界ジュニア<ポーランド・ビドゴシチ>に出場(有明侑哉)
2008年(平成20年) 7月 創部90周年記念式典を開催
  「関西学院大学陸上競技部90年史」を発刊
2008年(平成20年) 9月 第77回日本インカレ棒高跳で優勝(荻田大樹)
2009年(平成21年) 7月 第25回ユニバーシアード大会<セルビア・ベオグラード>に出場(荻田大樹)
2011年(平成23年) 5月 第88回関西インカレ9度目の総合優勝 -10種競技で4連覇達成(広野雄大)-
2011年(平成23年) 7月 第19回アジア陸上競技選手権<兵庫・神戸>で銀メダルを獲得(荻田大樹OB)
2011年(平成23年)10月 第27回日本ジュニア陸上棒高跳で優勝(近田竜雅)
2011年(平成23年)10月  第23回出雲全日本大学選抜駅伝競走に19年ぶり2度目の出場
2011年(平成23年)11月 第43回全日本大学駅伝対校選手権大会に19年ぶり3度目の出場
2012年(平成24年) 5月 第89回関西インカレ64年ぶりに連覇達成し、10度目の総合優勝 -2連覇達成-
2012年(平成24年) 6月 第15回アジアジュニア大会<スリランカ・コロンボ>に出場(藤居大喜)
2012年(平成24年) 7月 第14回世界ジュニア大会<スペイン・バルセロナ>に出場(藤居大喜)
2012年(平成24年)10月 第24回出雲全日本大学選抜駅伝競走に2年連続3度目の出場
2012年(平成24年)11月 第44回全日本大学駅伝対校選手権大会に2年連続4度目の出場
2013年(平成25年) 5月 第90回関西インカレで過去最高の215点を獲得し、12度目の総合優勝 -64年ぶりの3連覇達成-
2013年(平成25年) 7月 第66回西日本インカレのトラック部門で47年ぶりに優勝
2013年(平成25年) 7月 第20回アジア陸上選手権<インド・プネー>に出場(田中 僚)
2013年(平成25年) 8月 第14回世界陸上大会<ロシア・モスクワ>に出場(荻田大樹OB)
2013年(平成25年) 9月 第82回日本インカレで50年ぶりに総合8位入賞
2013年(平成25年)10月 第25回出雲全日本大学選抜駅伝競走に3年連続4度目の出場
2013年(平成25年)10月 第27回日本ジュニア棒高跳で優勝(日置健也)
2013年(平成25年)11月 第45回全日本大学駅伝対校選手権大会に3年連続5度目の出場
2014年(平成26年) 5月 第91回関西インカレでハンマー投を除く全ての種目で得点し、12度目の総合優勝 -創部初の4連覇達成-
2014年(平成26年) 7月 第67回西日本インカレのトラック部門で2年連続優勝 -6点差で惜しくも総合優勝逃す-
2014年(平成26年)10月 第26回出雲全日本大学選抜駅伝競走に4年連続5度目の出場果たすも、台風のため中止
2014年(平成26年)11月 第46回全日本大学駅伝対校選手権大会に4年連続6度目の出場
2014年(平成26年)11月 第76回関西学生対校駅伝で惜しくも1秒差で初優勝逃す
2015年(平成27年) 5月 第92回関西インカレで、13度目の総合優勝 -創部初の5連覇達成-
2015年(平成27年) 6月 第68回西日本インカレのトラック部門で3年連続優勝
2015年(平成27年) 6月 第21回アジア陸上競技選手権<中国・武漢>に出場(荻田大樹OB)
2015年(平成27年) 8月 第15回世界陸上大会<中国・北京>に出場(荻田大樹OB)
2015年(平成27年)11月 第47回全日本大学駅伝対校選手権大会に5年連続7度目の出場
2016年(平成28年) 5月 第93回関西インカレで、14度目の総合優勝 -創部初の6連覇達成-
2016年(平成28年) 6月 第17回アジアジュニア陸上競技選手権大会<ベトナム・ホーチミン>に出場(足達一馬)
2016年(平成28年) 7月 U20世界陸上選手権大会<ポーランド・ビドゴシチ>に出場(足達一馬、大久保圭介)
2016年(平成28年) 7月 第69回西日本インカレで、初の総合優勝
2016年(平成28年) 8月 リオデジャネイロ・オリンピック<ブラジル・リオ>に出場(荻田大樹OB)
2017年(平成29年) 5月 第94回関西インカレで、15度目の総合優勝 -創部初の7連覇達成-
2017年(平成29年) 8月 第16回世界陸上大会<イギリス・ロンドン>に出場(多田修平、荻田大樹OB)
2017年(平成29年) 8月 多田修平が第16回世界陸上大会<イギリス・ロンドン>4×100mRで銅メダル獲得
2017年(平成29年) 8月 第29回ユニバーシアード大会<台湾・台北>に出場(多田修平)
2017年(平成29年) 8月 多田修平が第29回ユニバーシアード<台湾・台北>4×100mRで金メダル獲得。100mは7位入賞。
2017年(平成29年)10月 第29回出雲全日本大学選抜駅伝競走に6度目の出場
2017年(平成29年)11月 第49回全日本大学駅伝対校選手権大会に8度目の出場
2017年(平成29年)11月 第79回関西学生対校駅伝競走大会、創部初の優勝
2018年(平成30年)5月 第95回関西インカレで、1点差で総合2位となり総合連覇は7で止まる
2018年(平成30年)8月 多田修平が第18回アジア競技大会<インドネシア・ジャカルタ>4×100mRで金メダル獲得
2019年(令和元年)5月 第96回関西インカレで16度目の総合優勝

歴史・記録

歴代部長  
小寺 敬一 (1918~1920)
池田 多助 (1920~1922)
畑  歓三 (1922~1926)
小寺 敬一 (1926~1949)
池内 信行 (1949~1953)
小寺 武四郎 (1953~1960)
久保 芳和 (1960~1988)
井上 琢智 (1988~1997)
芝田 正夫 (1997~1998)※井上部長が留学のため部長代行
井上 琢智 (1998~2011)
利光 強 (2011~    )
 
歴代監督  
寺田 辰次郎 (1930~1945)
正垣 通三 (1945~1949)
寺田 辰次郎 (1945~1954)
野口 道一 (1954~1956)
平田 重信 (1956~1971)
北川 清 (1971~1977)
竹原 純一 (1977~1980)
柳  恭博 (1980~1983)
北井 敏雄 (1983~2004)
内井 亮 (2004~2011)※同期間北井敏雄が総監督に就任
北井 敏雄 (2011~2016)
竹原 純一 (2016~    )
 
オリンピック出場者  
蝦名  純 第17回ローマ大会(1960)
浅井  浄 第18回東京大会(1964)
田中  章(OB) 第18回東京大会(1964)
平田 重信 第18回東京大会(1964)
荻田 大樹(OB) 第31回リオデジャネイロ大会(2016)
 
世界選手権出場者  
荻田 大樹(OB) 第14回モスクワ大会(2013)
荻田 大樹(OB) 第15回北京大会(2015)
多田 修平、荻田 大樹(OB) 第16回ロンドン大会(2017)
多田 修平(OB) 第17回ドーハ大会(2019)
 
極東選手権大会出場者  
宮本 常蔵 第 3回東京大会(1917)
伊達 宗敏 第 4回マニラ大会(1919)
渡邊 文吉 第 5回上海大会(1921)
中沢 米太郎、渡部 武寿、正垣 通三、田中 有道 第 6回大阪大会(1923)
前川 博、赤坂 正一、渡部 武寿 第 7回マニラ大会(1925)
木村 一夫 第 8回上海大会(1927)
 
アジア大会出場者  
柳  恭博 第 3回東京大会(1958)
浅井  浄 第 4回ジャカルタ大会(1962)
佐藤 泰章 第 5回バンコク大会(1966)
多田 修平 第18回ジャカルタ大会(2018)
 
アジア陸上選手権大会出場者  
荻田 大樹(OB) 第19回神戸大会(2011)
田中  僚 第20回プネー大会(2013)
荻田 大樹(OB) 第21回武漢大会(2015)
 
ユニバーシアード大会出場者  
前田  巌 第 8回国際学生・ウィーン大会(1939)
浅井  浄、三宅 克宏 第 2回ソフィア大会(1961)
三宅 克宏 第 3回ポートアレグレ大会(1963) 
田中  章 第 4回ブダペスト大会(1965)
星加 利樹 第 5回東京大会(1967)
増田  学 第 7回モスクワ大会(1973) 
寺田  恵 第23回イズミル大会(2005)
寺田  恵 第24回バンコク大会(2007)
荻田 大樹 第25回ベオグラード大会(2009)
多田 修平 第29回台北市大会(2017)
 
世界ジュニア大会(2016よりU20世界陸上選手権大会に名称変更)出場者  
面高 潤也 第 7回アヌシー大会(1998)
酒井 大介 第 9回キングストン大会(2002)
荻田 大樹 第11回北京大会(2006)
有明 侑哉 第12回ビドゴシチ大会(2008)
藤居 大喜 第14回バルセロナ大会(2012)
足達 一馬 第16回ビドゴシチ大会(2016)
大久保 圭介 第16回ビドゴシチ大会(2016)
 
アジアジュニア大会出場者  
渡邊 浩二、森川 栄二 第 7回バンコク大会(1996)
黒田 公一 第 8回シンガポール大会(1998)
今宮  翼 第11回イポー大会(2004)
有明 侑哉 第13回ジャカルタ大会(2008)
藤居 大喜 第15回スリランカ大会(2012)
足達 一馬 第17回ホーチミン大会(2016)
 
日本陸上競技選手権大会優勝者  
伊達 宗敏(100m、200m) 第 7回
渡辺 文吉、大島 信雄、島  集一、伊達 宗敏(半マイルリレー) 第 7回
渡辺 文吉、島  集一、伊達 宗敏、築山 慶次(1マイルリレー) 第 7回
伊達 宗敏(200m)  第 8回
木村 一夫(中学部)(走高跳) 第13回
木村 一夫(中学部)(走高跳) 第14回
岡本 俊夫、伊藤 三郎、相沢  茂、矢野 嘉一郎(1600mR)    第30回
藤川 二郎、柳  恭博、小林 寿雄、上田  康(400mR) 第43回
三宅 克宏、小西 廉造、井口 宣紀、浅井  浄(400mR) 第47回
田中 章(OB)(110mH) 第51回
田中 章(OB)(110mH) 第52回
荻田 大樹(OB)(棒高跳) 第99回
 
日本学生陸上競技対校選手権大会優勝者  
戸田 一雄(800m) 第11回
前田  巌(棒高跳) 第11回
樫内 重之(ハンマー投) 第16回
岡本 俊夫(400m) 第17回
堀内 哲二(やり投)   第19回
日比野重之、三木 昭三郎、藤井 忠、浦本 和昭(400mR)     第20回
堀内 哲二(ヤリ投)   第20回
柳  恭博(200m) 第27回
上田  康(400m)  第27回
藤川 二郎、柳  恭博、小林 寿雄、上田  康(400mR) 第27回
三宅 克宏(110mH) 第30回
浅井  浄(100m) 第32回
田中  章(110mH)  第32回
三宅 克宏、小西 廉造、井口 宣紀、浅井  浄(400mR) 第32回
山田 裕司(棒高跳) 第74回
荻田 大樹(棒高跳) 第77回
 
関西の主要大学の陸上競技部の創部年  
神戸高商 大正 2年(1913)
関西学院 大正 7年(1918)
同志社 大正 8年(1919)
京都 大正 8年(1919)
関西 大正10年(1921)
 
大学陸上対校定期戦開催年  
東京大   対 東京高師 (非公式大会) * 大正 7年(1918)
神戸高商  対 慶応 (日本最初の対校陸上定期戦) * 大正 8年 9月(1919)
関西学院大 対 早稲田大(現在まで継続する最古の陸上定期戦) 大正 9年 5月(1920)
一高    対 三高 * 大正 9年(1920)
早稲田大  対 慶応大 大正12年(1923)
東京大   対 京都大 大正13年(1924)
法政大   対 関西大 大正13年(1924)
(*印は現在中止)  
 
黄金時代  
第 1期  大正 7年(1918) ~ 大正15年(1926)  
第 2期  昭和10年(1935) ~ 昭和14年(1949)  
第 3期  昭和21年(1946) ~ 昭和27年(1952)  
第 4期  昭和32年(1957) ~ 昭和42年(1967)  
第 5期  平成 9年(1997)  ~  平成14年(2002)  
第 6期  平成20年(2008)  ~             
 
関西インカレ総合優勝  
第 4回  大正13年(1924) 大阪市立運動場
第19回  昭和14年(1939) 甲子園南競技場
第24回  昭和22年(1947) 西京極グラウンド
第25回  昭和23年(1948) 中モズ競技場 
第26回  昭和24年(1949) 明石競技場  
第43回  昭和41年(1966) 長居陸上競技場
第76回  平成11年(1999) 長居陸上競技場
第85回  平成20年(2008) 長居第2陸上競技場 
第88回  平成23年(2011) 長居第2陸上競技場
第89回  平成24年(2012) 長居陸上競技場
第90回  平成25年(2013) 長居陸上競技場
第91回  平成26年(2014) 長居陸上競技場
第92回  平成27年(2015) 長居陸上競技場
第93回  平成28年(2016) 長居陸上競技場
第94回  平成29年(2017) 長居陸上競技場
第96回  令和元年(2019) 西京極陸上競技場、鴻ノ池陸上競技場
 
関西インカレ種目別優勝回数(第96回大会終了時点)  
<男子> <女子>
100m-26回 800m- 1回
200m-20回 走高跳- 1回
400m-25回 ハンマー投- 1回          
800m-12回 7種競技- 2回
1500m-12回  
5000m- 6回  
10000m- 4回  
ハーフマラソン- 2回  
110mH-13回  
400mH-22回  
3000mSC- 5回  
400mR-25回  
1600mR-23回  
走高跳- 5回  
棒高跳-27回  
走幅跳-12回  
三段跳- 7回  
砲丸投- 2回  
円盤投- 7回  
ハンマー投-15回  
やり投- 7回  
10種競技-19回  
   
関西学生対校駅伝競走大会優勝  
第79回  平成29年(2017)
  仲村ー川田ー川島ー藤井ー石井ー野中ー坂東ー小嶋
丹後半島

定 期 戦

対早稲田大定期戦

  開催年 早稲田 関西学院 開催場所
第1回 1920年(大正9年) 45 63 鳴尾
第2回 1921年(大正10年) 80 28 早稲田高等学院
第3回 1922年(大正11年) 87 18 京阪寝屋川
第4回 1923年(大正12年) 中止(関東大震災) 
第5回 1924年(大正13年) 54 15 早稲田高等学院
第6回 1925年(大正14年) 52.5 16.5 大阪市立
第7回 1926年(大正15年) 60 9 明治神宮
第8回 1927年(昭和2年) 62 6 大阪市立
第9回 1928年(昭和3年) 66 3 上井草
第10回 1929年(昭和4年) 66 3 甲子園南
第11回 1930年(昭和5年) 56 1/2 12 1/2 大阪市立
第12回 1931年(昭和6年) 66 3 明治神宮
第13回 1932年(昭和7年) 66 1/3 2 2/3 甲子園南
第14回 1933年(昭和8年) 55 14 上井草
第15回 1934年(昭和9年) 56 13 甲子園南
第16回 1935年(昭和10年) 62 7 日吉台
第17回 1936年(昭和11年) 56 4/5 12 1/5 甲子園南
第18回 1937年(昭和12年) 56 13 日吉台
第19回 1938年(昭和13年) 47 22 甲子園南
第20回 1939年(昭和14年) 61 8 芝公園
第21回 1940年(昭和15年) 54 15 甲子園南
第22回 1941年(昭和16年) 57 12 文理大
第23回 1942年(昭和17年) 54 15 中百舌鳥
第24回 1943年(昭和18年) 60 9 早稲田高等学院
第25回 1946年(昭和21年) 38 31 中百舌鳥
第26回 1947年(昭和22年) 49 20 ナイルキルニック
第27回 1948年(昭和23年) 50 19 中百舌鳥
第28回 1949年(昭和24年) 45 24 久我山
第29回 1950年(昭和25年) 41 28 中百舌鳥
第30回 1951年(昭和26年) 54 15 明治神宮
第31回 1952年(昭和27年) 51 18 中百舌鳥
第32回 1953年(昭和28年) 62 7 武蔵野
第33回 1954年(昭和29年) 不明 
第34回 1955年(昭和30年) 不明 
第35回 1956年(昭和31年) 56 13 中百舌鳥
第36回 1957年(昭和32年) 58 11 東伏見
第37回 1958年(昭和33年) 43 26 神戸王子
第38回 1959年(昭和34年) 55 14 武蔵野
第39回 1960年(昭和35年) 52 17 神戸王子
第40回 1961年(昭和36年) 不明   中大練馬グラウンド
第41回 1962年(昭和37年) 45 24 神戸王子
第42回 1963年(昭和38年) 不明    
第43回 1964年(昭和39年) 55 14 神戸王子
対抗戦中断   
第68回 1989年(平成1年) 39 19 神戸王子
第69回 1990年(平成2年) 40 18 平塚
第70回 1991年(平成3年) 44 14 尼崎
第71回 1992年(平成4年) 29 1/2 28 1/2 小田原
第72回 1993年(平成5年) 25 33 尼崎
第73回 1994年(平成6年) 25 33 早大所沢
第74回 1995年(平成7年) 27 31 尼崎
第75回 1996年(平成8年) 20 38 早大所沢
第76回 1997年(平成9年) 22 36 尼崎
第77回 1998年(平成10年) 35 1/2 22 1/2 早大所沢
第78回 1999年(平成11年) 28 32 神戸王子
第79回 2000年(平成12年) 38 24 神戸王子
第80回 2001年(平成13年) 20 38 早大所沢
第81回 2002年(平成14年) 32 32 明石
第82回 2003年(平成15年) 45 18 早大所沢
第83回 2004年(平成16年) 49 15 明石
第84回 2005年(平成17年) 44 20 早大所沢
第85回 2006年(平成18年) 45 29 服部
第86回 2007年(平成19年) 48 18 早大所沢
第87回 2008年(平成20年) 中止(台風) 
第88回 2009年(平成21年) 51 13 早大所沢
第89回 2010年(平成22年) 46 12 関学第2フィールド
第90回 2011年(平成23年) 46 18 早大所沢
第91回 2012年(平成24年) 36 22 関学第2フィールド
第92回 2013年(平成25年) 43 14 早大所沢
第93回 2014年(平成26年) 24 33 関学第2フィールド
第94回 2015年(平成27年) 44 13 早大所沢
対抗戦休会

 


対神戸高商(神戸商大)定期戦

  開催年 神戸高商 関西学院 開催場所
第1回 1920年(大正9年) 47 52 鳴尾
第2回 1926年(大正15年) 23 1/2 45 1/2 大阪市立
第3回 1927年(昭和2年) 32 37 大阪市立
第4回 1928年(昭和3年) 31 38 大阪市立
第5回 1929年(昭和4年) 40 29 甲子園南
第6回 1930年(昭和5年) 55 14 大阪市立
第7回 1931年(昭和6年) 42 1/2 26 1/2 甲子園南
第8回 1932年(昭和7年) 46 1/2 22 1/2 大阪市立
第9回 1933年(昭和8年) 32 36 甲子園南
第10回 1934年(昭和9年) 18 51 神戸市民
第11回 1935年(昭和10年) 9 54 神戸市民
第12回 1936年(昭和11年) 9 60 甲子園南
第13回 1937年(昭和12年) 7 62 大阪市立
 


対大阪商大定期戦

  開催年 大阪高商 関西学院 開催場所
第1回 1931年(昭和6年) 38 19 甲子園南
第2回 1932年(昭和7年) 不明
第3回 1933年(昭和8年) 22 36 甲子園南
第4回 1934年(昭和9年) 16 41 甲子園南
第5回 1935年(昭和10年) 17 40 甲子園南
第6回 1936年(昭和11年) 9 48 甲子園南
第7回 1937年(昭和12年) 9 48 甲子園南
第8回 1938年(昭和13年) 15 42 大阪市立
第9回 1939年(昭和14年) 15 42 大阪市立
第10回 1940年(昭和15年) 13 44 神戸市民
第11回 1941年(昭和16年) 9 48 神戸市民

 


対関西大総合定期戦

  開催年 関西学院 関西大学
第1回 1978年(昭和53年) 不明 
第2回 1979年(昭和54年) 19 33
第3回 1980年(昭和55年) 21 25
第4回 1981年(昭和56年) 22 25
第5回 1982年(昭和57年) 17 29
第6回 1983年(昭和58年) 26 20
第7回 1984年(昭和59年) 15 1/2 30 1/2
第8回 1985年(昭和60年) 27 19
第9回 1986年(昭和61年) 24 21
第10回 1987年(昭和62年) 20 26
第11回 1988年(昭和63年) 27 19
第12回 1989年(平成1年) 24 22
第13回 1990年(平成2年) 22 24
第14回 1991年(平成3年) 21 25
第15回 1992年(平成4年) 18 28
第16回 1993年(平成5年) 30 22
第17回 1994年(平成6年) 47 47
第18回 1995年(平成7年) 39 19
第19回 1996年(平成8年) 37 15
第20回 1997年(平成9年) 37 15
第21回 1998年(平成10年) 不明(関学勝ち) 
第22回 1999年(平成11年) 36 33
第23回 2000年(平成12年) 43 32
第24回 2001年(平成13年) 34 41
第25回 2002年(平成14年) 42 33
第26回 2003年(平成15年) 39 42
第27回 2004年(平成16年) 54 27
第28回 2005年(平成17年) 48 34
第29回 2006年(平成18年) 36 51
第30回 2007年(平成19年) 不明(関学勝ち) 
第31回 2008年(平成20年) 44 37
第32回 2009年(平成21年) 中止
第33回 2010年(平成22年) 39 36
第34回 2011年(平成23年) 中止
第35回 2012年(平成24年) 40 42
第36回 2013年(平成25年) 40 42
第37回 2014年(平成26年) 50 31
第38回 2015年(平成27年) 45 37
第39回 2016年(平成28年) 51.1 36.5
第40回 2017年(平成29年) 55 33
第41回 2018年(平成30年) 38 50
第42回 2019年(令和元年) 49.5 26.5

アクセス


兵庫県西宮市上ヶ原一番町1-155 関西学院大学第二フィールド

●阪急電鉄今津線(宝塚方面)甲東園駅
甲東園駅より阪急バス 西宮北口行(上ヶ原六番町経由)または朝凪町行に乗車(約10分)上ヶ原六番町下車。上ヶ原六番町より徒歩3分

●阪急電鉄西宮北口駅またはJR西宮駅
西宮北口またはJR西宮駅より阪急バス 甲東園行(上ヶ原六番町経由)に乗車(約20分)上ヶ原六番町下車。上ヶ原六番町より徒歩3分

*なお、駐車場はございませんので、車でのご来場はご遠慮ください。

「関西学院陸上競技部の変遷 -大正・昭和・平成-」

 講師 清水 道大 司会 井上 琢智

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